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大使館の庭で深呼吸

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豪州大使館

大使館の庭で深呼吸

~歴史ある場所で過ごした、心のリトリート~



少し昔の話になりますが、東日本大震災が起こる前のこと。私は、都心にひっそりと佇む、オーストラリア大使館関係者のための上質なアパートメントでの特別なひととき過ごすという、今でも心に残る大切な時間を体験しました。



きっかけは、ある偶然のご縁。当時、大使館で経済担当参事官をされていた女性と、ふとしたことで知り合ったのです。最初は電話で一度お話しただけ。その後に都内で一度会っただけでしたが、まるで昔からの知り合いだったような不思議な感覚がありました。ご縁というものは、本当に思いがけないかたちで訪れるものですね。



彼女は大使館に隣接するアパートメントに住んでおり、「よかったら東京のリトリート代わりに、気が向いたときに使っていいわよ」と、やさしい言葉をかけてくれました。それから私は、時おりサロンをお休みし、その場所で心と身体をゆっくりと休める時間をもつようになりました。



アパートの窓からは東京タワーが見え、冬には六本木のイルミネーションが街をやわらかく照らしていました。夜には、麻布十番の「豆源」で買ったおかきを片手に、彼女と恋の話に花を咲かせた日もありました。



職場では「鬼のように厳しい」と言われていた彼女も、私の前ではごく普通のひとりの女性として、笑ったり、ときには愚痴をこぼしたり。そんな何気ないやり取りが、とてもあたたかく、今も胸の奥に残っています。



なかでも、特に忘れられないのは、敷地内に広がるお庭の存在です。

この場所は、もともと江戸時代の大名・蜂須賀家のお屋敷があった場所です。



蜂須賀家は、今の徳島県にあたる阿波国を治めていた名門で、この地は彼らの東京の上屋敷だったそうです。

明治以降、敷地は国有化され、さまざまな変遷を経て、1976年に現在の大使館が建てられました。建物の一部には、その歴史を感じさせる重厚さが漂い、そして何よりも、その広々とした庭園が本当に美しかったのです。



秋の晴れた日には、二人でその庭を静かに歩きながら、草の香りや木々の揺れる音に包まれ、ただ立ち尽くしていました。足元に広がる落ち葉や枝の先に差し込む光、静かな風。まるで「時の縁側」に立っているかのような、そんな不思議な感覚でした。



アパートの一室では、アロマトリートメントをさせていただくこともありました。東京タワーを望むその空間は、都心とは思えないほど静かで、心を深く休めてくれる場所でした。異国の空気と、日本の静けさがやさしく混ざり合うようなひととき - - それは、今でも色褪せることのない記憶です。



この滞在を通して感じたのは、「人とのご縁の大切さ」と「土地の記憶がもたらす癒しの力」。

肩書きではなく、その人の心に触れること。歴史ある場所で、ただ静かに過ごすこと。それだけで、心の奥深くに、静かな変化が生まれていくのを感じました。



彼女はその後、本国に戻られ、今はなかなか会うことができませんが、心の中には今も、あの庭の光や香り、彼女の笑顔がやさしく残っています。ふとしたときに、“無理しなくていいよ。そのままのあなたで素敵だよ。”そんな言葉を、そっと囁いてくれるような、温かな記憶です。



香りの記憶

彼女を思い出すとき、ふと香ってくるのが「フランキンセンス」の香りです。

彼女はとても美しい女性でした。けれどその美しさは、目を引くような華やかさではなく、静かに内側からにじみ出るような、奥行きのあるもの。長い年月をかけて培われた、穏やかで落ち着いた輝き。

謙虚で気取らないその姿勢に、私はいつも尊敬を感じていました。


ある日のこと、外務省のKさんが、笑いながらこう言っていました。「外交官って狐なの。化けていないといけないのよ。」


それは、どんな場面でも冷静に、感情を乱さず進むための、したたかさや柔らかさを持つという意味だったのでしょう。けれど、そんな仮面の奥に感じられた人としての温かさと深みが、今も心に残っています。


そんな彼女を思い出すとき、必ず立ち上がってくるのが、フランキンセンスの香り。古代から神聖な場面で使われてきたこの香りは、深く澄んだ静けさと、どこか懐かしさを感じさせる温かさを持ち合わせています。



フランキンセンスという香りの力

フランキンセンスは、心のざわめきをやさしく鎮めてくれる精油。

「今、ここ」に意識を戻し、深い呼吸へと導いてくれる香りとして、アロマテラピーの世界ではとても大切にされています。


その香りには、“間”というものがあります。

主張しすぎず、やさしく空間に溶け込み、静かな湖面のように心を映し出してくれます。


私は彼女の佇まいにも、同じような“間”を感じていました。相手の言葉にすぐ返さず、一呼吸おいてから、やさしく返す言葉。その「余白」に、彼女の知性や敬意がいつもにじんでいたように思います。



香りと記憶のちから

香りは、時に記憶や感情をふいに呼び起こしてくれます。

誰かと交わした言葉

空間の温度

流れていた空気感


香りは、見えないけれど、確かに心の深い場所に届いて、その人の面影をそっと思い出させてくれるのです。



今も、ディフューザーに一滴フランキンセンスを垂らすと、彼女のことがふわりと思い出されます。

読みかけの本が積まれた小さなテーブル。電子ピアノのある少し散らかったお部屋。そこは、彼女にとって静かに自分を取り戻す、大切な場所だったのでしょう。

「何も考えたくないとき、あそこにこもるの」、小さな声でぽつりと呟いていたあの言葉が、今も耳に残っています。


でも私と一緒に過ごす時間は、ソファに並んで座って、キャンドルの揺れる灯りの中で、温かいお茶を飲みながらたくさんお話をしてくれました。


リビングでのひととき、大使館の庭で深呼吸、クリスマスパーティーの準備、私の中で今も輝いている記憶です。

フランキンセンスの澄んだ香りに包まれると、彼女の声や微笑みが、今も胸の中にほどけていきます。





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